「コペルニクス的転回」略して「コペ転」。
高校のころに、この言葉と出会って、うまいこと言うな~、と感じ入った経験があります。この言葉自体は、カントの純粋理性批判の「認識が対象にしたがわなければならない」、つまり対象が認識を作る(経験でしか語れない)という立場から、「対象が認識にしたがわなければならない」、つまり認識が対象を見出す(理性が見いだせる)という全く逆の見方をすることで経験から解き放たれることを指しています。いまや、コペルニクス的展開という言葉を聞くことは少なくなってしまったが、「パラダイム」はいつでもどこでも誰もが「大きな枠組み」といったような意味合いで使うようになった。もっと違う形で「パラダイムシフト」を「競争のルールが変わること」という説明を加えている場合すらあるのである。ところが、クーンはこんなことは言っていない。
クーンの「パラダイム」とは、次の2つの性格を持つ業績のことである:
・ ほかの対立競争する科学研究活動を棄てて、それを支持しようとする特に熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持っていて、
・ 業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示している
クーンは、プトレマイオス天文学とコペルニクス天文学の誕生の過程で「パラダイム」の転換についてうまく説明している。紀元前2世紀から紀元2世紀の間に発展したプトレマイオスの体系による恒星の位置変化の予測は、現在でも実用に耐えうる。ところが、惑星ではコペルニクスと「同じぐらい」の精度を持っていたのだが、プトレマイオス体系で行った予測は当時最良の観測値とうまく合わなかった。そのため食い違いを少なくする補正をプトレマイオスの体系に加えていくが、一方を直せば他方が食い違うというようになり、天文学は恐ろしく複雑な学問となってしまう。そして、16世紀にはプトレマイオスの体系のように込み入っていて不正確なものは自然を真に(「同じぐらい」ではなく「完全に」)表していないと考えられるようになり、プトレマイオスの「パラダイム」からうまく当てはまらないということの認識から、コペルニクスはプトレマイオスのパラダイムを捨て、新しいパラダイムを求めさせる前提になったのである。ほかにはアリストテレスからニュートン、そしてアインシュタイン、ニュートリノに至る物理学、プリーストリーからラヴォアジェに至る酸素の発見まで、様々な例を用いて、パラダイムが説明される。そして、パラダイムとは、科学共同体で生み出される具体的業績の見本例であると説く。
パラダイム転換の概念は、もともと現在使われているような形で使われたのではなく、科学の発展が累積的・漸進的・連続的に起こるのではなく、質的な変化を含む非連続的なプロセスであることを現したものである。たとえば、プトレマイオス天文学が今となっては古い学問の「パラダイム」ではあっても、それはプトレマイオス天文学が科学でなかったわけではない。プトレマイオス天文学は、紀元前2世紀から累積的・漸進的・連続的に研究され、16世紀までは天文学の正統であった。しかし、うまく説明できないことが起こり、非連続的なプロセスからコペルニクス天文学が誕生している。
そして、クーン自身が、この本の主要点がほかの分野に応用できると読者が読みとったからこそ愛読されたのではないかとい点については、もともと文学、音楽、芸術、政治などの分野で起こる「革命的断絶」、つまり様式、嗜好、体制などの変化が往々にして革命的断絶で起こることから応用したと言っているのである。
やはり古典は読んでみるものである。この本は600円の古本だったが、新刊書でも同じ中身である。訳が古臭くて今一歩とは思うが、自分の知識をしっかりと整理するうえでは非常に役立つ。コペルニクス天文学のパラダイム転換の話は、商売や組織でも十分に使える強力なメタファーである。
Kuhn, T., S.(1962) The Structure of Scientific Revolutions. Chicago: The University of Chicago Press. 邦訳 トーマス・クーン(1971)『科学革命の構造』中山茂 訳、みすず書房
目次
まえがき
第1章 序論:歴史にとっての役割
第2章 通常科学への道
第3章 通常科学の性格
第4章 パズル時としての通常科学
第5章 パラダイムの優先
第6章 変則性と科学的発見の出現
第7章 危機と科学理論の出現
第8章 危機への対応
第9章 科学革命の本質と必然性
第10章 世界観の変革としての革命
第11章 革命が目立たないこと
第12章 革命の決着
第13章 革命を通しての進歩
補章 1969年
註
訳者あとがき
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