2010年11月21日日曜日

今日の日経社説

本日の日経社説「商社の提言を機に採用活動を見直せ」について、私の思うところを書いてみたい。

私は、就職活動の時期の規制に大賛成の一人である。しかし、日本貿易会が何を言おうが、経団連が何を言おうが全く実効性はない。私が就職活動をした20数年前にも就職協定はあった。しかし、4年生の春ごろから就職活動はスタートしていた。ゼミの仲間で就職する連中はみな活動していて、解禁日には内々定が出ていたのである。私は極めてふまじめな学生で、就職する気はあまりなく、解禁日に有名企業に並んで面接を受けたが結局その企業には通らず、後で受けた今の会社に就職したわけです。曲がりなりにも協定が生きていた時代でさえ、4年生の春には電話帳のようなガイドブックが何冊も送られてきて、興味のある会社にはがきを出し、説明会に参加していたのである。先輩から電話がきて、「うちに来ないか」的なリクルーター制度もあったし。

就職協定に罰則がない限り、就職協定には意味がない。企業はできるだけ優秀な学生を採用しようと必死である。一部有名企業は就職協定を守っていても採用には困らない。しかし、世の中にある大部分の会社は、優秀な学生の確保のために就職協定など関係なく活動している。日本貿易会加盟商社でも4月1日と同時に選考に入る。ほかの会社はそれよりもずっと前に選考活動をやっている。説明会は10月からやっているし、学校回りもやっている。

企業側の活動が早くなるのは、できるだけ早くいい学生を確保したいからであり、求職活動を法律で規制し、学生は労働局に違反企業を密告すればよいのである。密告する学生はおそらくその企業の選考に落ちた学生であろうが、それでもよいのである。違反事実があれば、企業名の公表、学校への告知など、様々な罰則を設けるべきであろう。少なくとも、求人活動(面接、筆記を問わず選考活動を含む)の開始可能時期を法律で規制するべきなのである。それにはインターンシップも含まれる。インターンシップを選考のためにするのであれば、それも含めて規制するべきである。そもそも、インターンシップについては、もっと高い理想があったはずであるが、採用活動の一環と堕したインターンシップには全く興味を失ってしまった。だから、インターンシップなんて止めてしまえばいい。意味がない。

一番実効性がある方法は、新卒見込み者だけを採用できる仕組みを法規制することである。大学卒業程度の学歴を求めるのであれば、年齢制限を設けてはならないのである。現行の雇用機会均等法の枠組みでもこれは可能である。年齢制限の禁止を厳格に運用し、「卒業見込み者に限る」という応募要項を禁止すればよいのである。卒業見込み者を採用したい場合は、就職活動を規制する法律を整備することにより、「学生に関しては、何月何日から選考」とすれば、既卒者であればそれ以前から採用可能であるし、見込み者は学生選考日以前の選考ができないようにしてしまえば解決すると考えられる。抜け駆けを防ぐためには公務員も含めた法規制が重要になるであろう。

大学生の就職難については、実業界全体が求める人材ポートフォリオは30年前から大きく変化しているわけではないのに、進学率の向上によって学生が求める職業と実業界が求めるポートフォリオに大きなずれが生じていることが原因である。30年前は高校卒業後就職する比率は70%前後であったが、今は5割を切っている。元々大卒程度の職種はそれほど多くはない。今の世の中では減りこそすれ増えない。要するにアンマッチが起こっているのである。大学に入れば就職が保証されていた時代は過ぎたのである。4年制大学と名がつく「機関」がなんと758(2009年4月1日現在、国立86、公立77、私立595)あるのである。国立は統廃合で若干減っているが、雨後のタケノコのように公立と私立は増え続けている。18歳人口は減り続けている。経営を考えれば、当然のことながら入学基準は甘くなり、大学生とは名ばかりの学生が量産される。企業側は大卒者には「大学生として当然の知識と教育を身に付けた学生」であることを要求する。そのスタンダードが20数年前にあるとは思わないが、「入試が機能していて、大学生が勉強していたころ」を基準に置くであろう。なぜなら、その時代の大学教育を受けた世代以上が採用の決定権を握っているからである。

多くの大学において、大学名にスクリーニング効果は期待できない。以前は、「この大学ならこのぐらいの入試難易度で、これぐらいのレベルの学生がいる」と予想できたが、入試方法の多様化により、それはほとんど期待できなくなった。むしろ高校名を聞いたほうが確実にレベルが分かる。

2010年11月16日火曜日

裁判員裁判

久々のブログです。本題の本は今読んでいるところです。近日中にアップします。

今日の話題は裁判員裁判です。「いとかわ」と「はやぶさ」の話題とともに、今日のニュースでは裁判員裁判で初の死刑判決が出たという記事について、様々な話が出ています。いつも不思議に思うのは、裁判員に対する記者会見です。

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第70条第1項によると、「構成裁判官及び裁判員が行う評議並びに構成裁判官のみが行う評議であって裁判員の傍聴が許されたものの経過並びにそれぞれの裁判官及び裁判員の意見並びにその多少の数(以下「評議の秘密」という。)については、これを漏らしてはならない。」とされている。加えて、第102条第1項及び第2項は、「何人も、被告事件に関し、当該被告事件を取り扱う裁判所に選任され、又は選定された裁判員若しくは補充裁判員又は選任予定裁判員に接触してはならない。
 何人も、裁判員又は補充裁判員が職務上知り得た秘密を知る目的で、裁判員又は補充裁判員の職にあった者に接触してはならない。」としているのである。
法律を読むと、評議の経過、意見、票の数は漏らしてはならず、しかも、裁判員に接触してはならず、職務上知りえた秘密(この秘密は第70条の秘密を含むと考えるのが当然であろう)を知る目的で接触してはいけないのである。つまり、裁判員の方に課せられた守秘義務はこのように非常に重いものなのである。マスコミもそれを尊重して裁判員の方に接触してはならないのである。
今回の裁判員の方々それぞれが非常に重い決定をなさった。「すごく悩んだ」というコメントをとるためにその方々を追い回すマスコミ。マスコミがこういう方々のプレッシャーになっているのは間違いなく、裁判員の方々もそれを漏らすことは違法になるという意識を持ってもらいたいのである。極端にいえば、「すごく悩んだ」のも評議の経過であるともいえ、漏らしてはならないのである。

裁判所は、この規定を厳格に採用して、マスコミのプレッシャーから解放する必要がある。裁判員の方々には、日本の司法の発展のために尽くしていただいている。裁判員の方々は量刑にまで踏み込んで決定を(このことについては私には別の意見があるが)しているのである。いらぬプレッシャーから解放し、裁判員の方々を守るため、また、裁判員制度をよりよくしていくためには、守秘義務が完全に担保されていなければならないのである。暴力団のかかわる事件で、記者からコメントを求められることや暴力団に狙われる恐怖から量刑が変わるようなことが起きないとも限らない。 弁護士が記者会見をするのとは全く違うのである。
裁判所は記者会見を厳格に禁止するべきである。

2010年11月7日日曜日

自転車

東京に来て1カ月ほど経過し、仕事を会社で済ませたのち自転車で、日比谷⇒(内堀通り)⇒桜田門⇒赤坂⇒(六本木通り)⇒六本木⇒渋谷⇒新宿⇒(明治通り)⇒池袋⇒王子⇒三ノ輪⇒(国際通り)⇒浅草⇒(浅草通り)⇒(清洲橋通り)⇒東神田⇒浜町⇒人形町というルートで3時間ほどで「観光」してきました。東京は坂が少なく平坦なので走りやすい。比べて関西は、坂が多いので自転車だとくたびれてしまいますね。

大きな町には自転車で行けることが分かったので、これから自転車の活動範囲が増えると思います。普段から歩いているとはいえ、週末の暇なときのお金のかからない娯楽が見つかりました。

2010年11月4日木曜日

国鉄改革の真実(葛西)読みました

昨日、息子から電話がかかってきてうれしくてたまりませんでした。

そのあとおもむろに読みだしたのがこれ。何度も読んでいますが面白い。葛西氏がこのプロジェクトに参画したのが40代前半から後半。国鉄分割民営化を「不退転の決意」で遂行した政治家は中曽根康弘氏である。その下で活躍したのが後藤田正晴であり瀬島龍三であった。そしてそのプロジェクトのボトムに葛西氏のような侍がいたということ。

座して死を待つ状態にあった国鉄。しかし、それこそ親方日の丸の国労。その中で葛西氏は労務担当としてそれこそ死に物狂いで働いたと思う。私の勤務先ではいわゆる「要員計画」を実施したことはないのだが、その難しさは容易に理解できる。しかも複雑な労使関係が物事をさらに複雑にしている。そして、葛西氏に「迷いを生じたとき、物事が複雑に絡んだときは、単純明快な事実、単純明快な論理、単純明快な結論に如くはない。うまく泳いで、両方に満足してもらおうと思えば、すべてが混乱に陥る。利害の異なる者の調整をしようとすれば、すべての問題を自分が背負うことになる。そんな暇はない」と言わしめている。まさに至言である。

私は自分の会社の改革にここまで熱くなれるか。座して死を待つだけという会社の状況ではないが、それでも不採算部門は存在するし、不採算でかつ組織に問題のある部門もある。そういう部門で、その部門が存続するのが与件であるとして議論している姿も見る。はたしてそれでいいのか。もっと根本的な問題があるのではないのか。改めてそのようなことを考えるきっかけになった。そういうのを抜きにしても面白い。

今の政治家が、中曽根元首相が燃やした執念で何かをやろうとしているだろうか。これは自民、民主とも共通している。中曽根が好きなわけではないし、中曽根が機を見て敏(悪く言えば風見鶏)であるのも承知しているが、自民党政治の中で中共との国交樹立、それと国鉄解体は、本当に政治主導であったわけで、こういう仕事をするのが政治家であろう。どこにでも反対勢力はいる。国鉄なんて政治家にとっては使い勝手の良い打ち出の小づちだったわけで、また職員は、親方日の丸で仕事をしたかったのが大部分だろう。国民も「国民負担の増大」で反対するわけで、これだけの悪条件でトップダウンで決断する。

結局、JALは、こういうお手本があったのに全く何もできていない。「座して死を待つのみ」というか、すでに死んでしまったのである。死ぬ気になってやってやるという気は、JALの社員からは全く感じられない。すべてが中途半端、労組はそれこそ親方日の丸。政治家は路線の維持を叫び、好き勝手なことを言う。稲盛氏でもおそらく再建は不可能と思う。なぜなら、社員にその気がないから。別にサービスは何も変わらない。昔はJALを応援していたが、JALの社員から本気度が感じられない今となっては、乗る気にもならない。

今の政治になにができるだろうか???

自慢話を超えて面白い。

葛西敬之(2007)『国鉄改革の真実:「宮廷革命」と「啓蒙運動」』中央公論新社

目次

序にかえて 御厨貴
はじめに
第1章 分割民営化始動
第2章 国鉄改革の主戦場、労務・要員対策
第3章 国鉄改革関連8法案の審議開始と国労の分裂
第4章 国鉄改革関連8法案の成立とJR首脳人事
第5章 国鉄資産分割の実態
第6章 JR東海の初動 3正面作戦
終章 JR東海の完全民営化と今後の展望
あとがき

2010年11月3日水曜日

古本まつり最終日

今日は古本まつりの最終日でしたので、午後からずっと神保町に出ていました。結局買ったのは8冊(7冊プラス2冊組1組)です。

丸山真男(1976)『戦中と戦後の間:1936-1957』みすず書房 初版、程度はいまいち、400円
大塚久雄(1994)『社会科学と信仰と』みすず書房 初版、帯つき、ほぼ新品、400円
Runciman, W., G. (1972) A Critique of Max Weber's Pholosophy of Social Science. Cambridge UK: Cabridge University Press. 邦訳 W. G. ランシマン(1978)『マックス・ウェーバーの社会科学論』湯川新、法政大学出版局 2刷、程度良好、400円
Lawler III, E., E. (1981) Pay and Organization Development. Reading, MA.: Addison-Wesley Publishing. 邦訳 エドワード E. ローラーⅢ世(2004) 『検証 成果主義』田中政光、白桃書房。
3刷、ほぼ新品、400円
伊丹敬之、軽部大(2004)『見えざる資産の戦略と論理』日本経済新聞社 初版、帯付新品同様、400円
Casson, M. (2000) Economics of International Business: A New Research Agenda. Cheltenham, UK: Edward Elgar Publishing. 邦訳 M. カソン(2005)『国際ビジネス・エコノミクス:新しい研究課題とその方向性』江夏健一、桑名義晴、大東和武司、文眞堂
初版、ほぼ新品、1000円
Csikszentmihalyi, M. (1975) Beyond Boredom and Anxiety. San Francisco: Jossey-Bass Publishing. 邦訳 M. チクセントミハイ(1979)『楽しみの社会学:不安と倦怠を超えて』今井浩明、思索社
旧版初版、程度はまあまあ、600円
モンテーニュ『随想録』関根秀雄(1970)、新潮社(2冊組)
3刷、程度良好、1000円

安いか高いかと言われれば明らかに安いと思う。4600円、つまりちょっとした専門書1冊の代金でこれだけ買えたということ。
この中で、以前から欲しくて本当に買いたかったのは、チクセントミハイの『楽しみの社会学』。何かに没頭する「フロー体験」の名著です。旧版ですが安いので買ってしまいました。
伊丹先生の『見えざる資産・・』は買おうと思っていた本でしたが、それほど食指が動かなかった。しかし、400円なら問題なし。お買い上げです。同じ文脈で言うと、『検証成果主義』もそういう本です。
『随想録』は、本当は宮下志朗訳4冊組がほしいのですが、1000円だと失敗してもまた売ればいいのだし、とりあえず買った感じ。
丸山真男は、一度読まねばと思っていた本で、普通にいろんな古本屋で見かけますが、400円は見たことがなく、しかもそれなりの程度だったので購入。
カソンは、修論を書く際に読んでいて、懐かしくて買った次第。これからの仕事にも生かせればと思う。
そして、ヴェーバー関係の棚を見ていて、面白そうな2冊を買った次第です。

そのほかに買うかどうか最後まで迷ったのは:
旺文社文庫の内田百閒全38巻(初版帯付)に平山三郎の4冊をセットにした全42冊組。これが42000円だったのを3万円まで値引きしていたので、最後まで迷った。これは2度と出ないセットであることはほぼ確実。家に帰ってきてすでに後悔している・・・。この前は講談社版全集8000円で後悔しまくり。福武書店版全集なら12万円でありますが・・・。
あと安いので迷ったのがギボン『ローマ帝国衰亡史』村山勇三 岩波書店の10冊組。これ3000円で箱入りが出ていたのですが、これならいつでも買えると思って今回はパス。

もっともっと欲しい本はありますが、神保町に行けば買えると思うと幸福です。先立つものが必要ですけどね・・・。本は買い始めると買ってしまうんですよね・・・・。