昨日、息子から電話がかかってきてうれしくてたまりませんでした。
そのあとおもむろに読みだしたのがこれ。何度も読んでいますが面白い。葛西氏がこのプロジェクトに参画したのが40代前半から後半。国鉄分割民営化を「不退転の決意」で遂行した政治家は中曽根康弘氏である。その下で活躍したのが後藤田正晴であり瀬島龍三であった。そしてそのプロジェクトのボトムに葛西氏のような侍がいたということ。
座して死を待つ状態にあった国鉄。しかし、それこそ親方日の丸の国労。その中で葛西氏は労務担当としてそれこそ死に物狂いで働いたと思う。私の勤務先ではいわゆる「要員計画」を実施したことはないのだが、その難しさは容易に理解できる。しかも複雑な労使関係が物事をさらに複雑にしている。そして、葛西氏に「迷いを生じたとき、物事が複雑に絡んだときは、単純明快な事実、単純明快な論理、単純明快な結論に如くはない。うまく泳いで、両方に満足してもらおうと思えば、すべてが混乱に陥る。利害の異なる者の調整をしようとすれば、すべての問題を自分が背負うことになる。そんな暇はない」と言わしめている。まさに至言である。
私は自分の会社の改革にここまで熱くなれるか。座して死を待つだけという会社の状況ではないが、それでも不採算部門は存在するし、不採算でかつ組織に問題のある部門もある。そういう部門で、その部門が存続するのが与件であるとして議論している姿も見る。はたしてそれでいいのか。もっと根本的な問題があるのではないのか。改めてそのようなことを考えるきっかけになった。そういうのを抜きにしても面白い。
今の政治家が、中曽根元首相が燃やした執念で何かをやろうとしているだろうか。これは自民、民主とも共通している。中曽根が好きなわけではないし、中曽根が機を見て敏(悪く言えば風見鶏)であるのも承知しているが、自民党政治の中で中共との国交樹立、それと国鉄解体は、本当に政治主導であったわけで、こういう仕事をするのが政治家であろう。どこにでも反対勢力はいる。国鉄なんて政治家にとっては使い勝手の良い打ち出の小づちだったわけで、また職員は、親方日の丸で仕事をしたかったのが大部分だろう。国民も「国民負担の増大」で反対するわけで、これだけの悪条件でトップダウンで決断する。
結局、JALは、こういうお手本があったのに全く何もできていない。「座して死を待つのみ」というか、すでに死んでしまったのである。死ぬ気になってやってやるという気は、JALの社員からは全く感じられない。すべてが中途半端、労組はそれこそ親方日の丸。政治家は路線の維持を叫び、好き勝手なことを言う。稲盛氏でもおそらく再建は不可能と思う。なぜなら、社員にその気がないから。別にサービスは何も変わらない。昔はJALを応援していたが、JALの社員から本気度が感じられない今となっては、乗る気にもならない。
今の政治になにができるだろうか???
自慢話を超えて面白い。
葛西敬之(2007)『国鉄改革の真実:「宮廷革命」と「啓蒙運動」』中央公論新社
目次
序にかえて 御厨貴
はじめに
第1章 分割民営化始動
第2章 国鉄改革の主戦場、労務・要員対策
第3章 国鉄改革関連8法案の審議開始と国労の分裂
第4章 国鉄改革関連8法案の成立とJR首脳人事
第5章 国鉄資産分割の実態
第6章 JR東海の初動 3正面作戦
終章 JR東海の完全民営化と今後の展望
あとがき
0 件のコメント:
コメントを投稿