2010年7月11日日曜日

これからの「正義」の話をしよう(サンデル) 読了しました

読み終わりました。思考を鍛えるために、大学学部生に読んでほしい1冊です。

本の内容は、NHK「ハーバード白熱教室」の講義録で、ほぼその内容を敷衍する形で進んでいます。放送をご覧になったかたはより深く理解が進むと思います。残念ながらNHKは一部しか見ることはできませんが、英語のオリジナル(Justice with Michael Sandel)であれば、すべての回を見ることができます。ただ、学生とのインタラクションによって、議論が深まって素晴らしい仕上がりの講義になっているのですが、講義録にはそのインタラクションは入っていません(当然ですね)。


ベンサムとミルの功利主義、ノージックのリバタリアニズム、市場と倫理、カントの「道徳形而上学原論」から自由な選択と動機、ロールズの「正義論」から平等と正義、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」「政治学」から目的因(テロス)など、西洋法哲学の歴史を俯瞰しながら様々なケースを用いて、平易に説明していく。救命ボートのカニバリズム、煙草会社の出した肺がんの便益、フォードの爆発するガソリンタンクの補修費と安全性向上の便益、マイケルジョーダンのチケット、徴兵制・志願兵・傭兵、ビルとモニカ、アファーマティブアクション、妊娠中絶をめぐる議論、同性婚など、アメリカ人であればいやでも直面する身近な問題に、哲学の理論との接点をうまく見つけて説明している。

私は、イギリスとアメリカに長く駐在していたこともあって、特にビルとモニカの問題についてはアメリカでその時代の空気を吸って身近な問題として理解できるし、イラク侵攻の日にアメリカを去った人間として、イラク侵攻前の張りつめた空気のなかで徴兵制と志願兵の問題が語られていたことも十分に理解しているので、例が非常に適切であると感じられた。このように豊富なアナロジーを提示しながら教えていく手法は、非常に効果的と感じる。

最近、グローバル人材をどのようにして育成するかといった議論が盛んである。世界で活躍するためには、英語のコミュニケーション(こういう場合はOralな部分を指すことが大部分)が重要である、といった議論も盛んである。しかし、様々な欧米人と渡り合ってきた経験からいうと、英語も大事だが、それよりも重要なのは、プラトン・アリストテレスに始まる哲学や聖書への理解である。それには大学の一般教養で行われている教育が非常に有用であると改めて感じる。欧米人の思考回路は、西洋哲学とキリスト教に裏打ちされている。アメリカ人と同じ空気を吸うことはできなくても、思考回路の元は幸いにも日本語で勉強できる。英語が上手なことはいいことだが、英語が上手なだけでその思考回路に迫っていなければ、彼らとの交渉で「なぜ」こういう結論に行きつくのか、という深いところは理解できないと思う。

この本が、そういう基礎素養を身につけようとする人々のきっかけとなればよいと思う。

Sandel, M.(2009) Justice: What's the Right Thing to Do? New York: Farrar, Strauss & Giroux. 邦訳 マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう―今を生き延びるための哲学』鬼澤忍 訳、早川書房。

目次
第1章 正しいことをする
第2章 最大幸福原理―功利主義
第3章 私は私のものか?-リバタリアニズム(自由至上主義)
第4章 雇われ助っ人―市場と倫理
第5章 重要なのは動機―イマヌエル・カント
第6章 平等をめぐる議論―ジョン・ロールズ
第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第8章 誰が何に値するか―アリストテレス
第9章 たがいに負うものは何か―忠誠のジレンマ
第10章 正義と共通善
謝辞
原注

(訳者のまえがきやあとがきが一切ないのは非常に好感が持てるやり方です!)

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

こちらのBlogでSandel教授の「白熱教室」のことを知りました。
PodcastのHarvard大学サイトから全授業をダウンロードすることができたので、
早速1回目から通勤時間に視聴しています。英語の哲学用語は調べないとわからないものもありますが、
海外留学していた人、目指している人でしたら十分ついていける英語のレベルだと思います。
教授と生徒のやり取りが面白い上、臨機応変に授業を進めるSandel教授の手腕が素晴らしいです。
本の方もぜひ詠んでみようと思います。

グローバル人材についてのご意見、ごもっともと思います。
語学はぺらぺらしゃべれることよりも、その言語の文化的背景を理解することがとても大事だと思います。
そして、日本人であれば自分のベースとなっている日本文化についての理解と欧米文化との違いを理解し、異文化の相手に説明することができて初めてグローバル人材と言えるのではないかと思います。

seataku さんのコメント...

出張続きで返信が遅くなりました。
つたないブログを読んでくださってありがとうございます。

Podcastいいでしょ?1000人以上を相手にこれだけの授業を展開できるというのは、先生の質もさることながら、学生の積極性にもよると思います。日本人学生は控えめで、正しい答えを正しくこたえようとするのに対して、アメリカ人学生は、正しかろうが間違っていようが、自分の主張をどんどん押しだしてきます。

アメリカ人のよさでもあり悪さでもあるこういう点を十分に理解して交渉に臨むべきでしょうね。普天間問題は、アメリカ人の考え方からすると、最悪な交渉方法です。アメリカ人は、どれだけ不完全でも、期日までに何らかの具体的な答えを求めます。それがアメリカ人にとって到底受け入れられないものであっても、期限までに返事をすると約束したのであれば、その答えが不完全でも返してきたことがアメリカ人にとっては重要です。

しかし、日本人は完全な契約内容を準備して、それから契約しようとするので、契約に至るまでの前置きが長いとアメリカ人は感じる。日本人は、40%の出来では答えを出せない。一方で、日本人のよさは、いったん契約が成立すると、どんな困難な状況に陥ってもその契約を守るところでしょう。

アメリカ人は、「困難な状況は予見不可能で、自分たちの力の及ばないことが起きた」という理由を作って再交渉に持ち込んできます。日本人からすると、「困難な状況を予見し、織り込んで契約はするもの」という考え方が強く、それが日本人への信頼を勝ち取れた一つの理由ではあるが、アメリカ人はもっとしたたかです。

普天間問題では、8月末までに何らかの返事をすると「コミット」したので、何らかの具体的な返事が必要です。それがたとえ「辺野古には移転できません」だけを主張するのではなく、「辺野古の代わりはここでいかが?」という必要がある。言えないのであれば、8月末という期限をコミットしたことが間違いであり、「うそつき」になる。民間では「うそつき」のレッテルをはられると、アメリカでは商売させてもらえません。