正月に酔った頭で読んだ本です。
ヴェーバーの権威である大塚久雄の講演録のような本です。この本を読んで、ヴェーバーの読み方が少しながら分かった気がします。経営管理を勉強する者としてヴェーバーは絶対に外せない。はっきり言って、総合学力試験は「ヴェーバーの意味」というのがどうしても書けなかったからだと思っている。だからヴェーバーについては読んできたつもりです。大塚先生がいろいろこの本の中で語りかけてくれるが、やはり白眉は「ヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」ですね。ヴェーバーをどのように読むべきかを教えてくれる小文です。それと、ヴェーバー研究者としてどのように対峙してきたか、背筋が伸びる本です。ただ、酔ったくれて読む本ではないことだけは確かです。もう一度読んでレポートします。
大塚久雄(1994)『社会科学と信仰と』みすず書房
目次
はしがき
Ⅰ 信仰と社会
Ⅱ 社会科学の基底
Ⅲ 本と人と
おもにMBAプログラムや論文執筆の過程で読んできた経営学と経済学の書籍、それと経営学を理解するために必須の哲学や社会学についての書籍を読み直しています。その時に読めなくて積読になっていた本も読み進めます。MBAを修了したものの、継続的に学ぶためには、何らかの強制力が必要です。そこで、硬軟織り交ぜてご紹介できればと思います。
2010年10月31日日曜日
隷属への道(ハイエク)一気読み
昨日は風邪ひきで昼間寝ていたのがたたって、夜は眠れない。眠れないので眠るために読もうと思って読みだすと、面白くて一気に読んでしまったのが、Hayek, F., A. (1943) The Road to Serfdom. Chicago: University of Chicago Press. 邦訳 F・A・ハイエク(2008)『隷属への道』西山千明、春秋社である。寝るための睡眠薬だったのですが、一種の覚せい剤でした。
これを読むと、今の民主党の議論が未熟なこと、またアメリカの中間選挙でなぜTea Partyがアメリカであれだけの支持を得ることができるのか、はたまた会社での経費賦課の不毛な論争にも、この本が与えてくれるロバストな視点は非常に有用である。
集産主義として代表される共産主義やファシズムに対する徹底的な批判と同時に、「法の支配」による権力の集中の防止と分散により、個人が競争を通じて努力する。人間は自分の利益になることにしか最善の努力をしないので、「適正な誘因」が必要である。そのためには自由でなければならないのである。ハイエクはこうも言う:「経済的自由は、ほかのどんな自由にも先立つ前提条件であるが、社会主義者が約束するような「経済的心配からの自由」とは全く異なっている。後者の自由とは、個人を欠乏から遠ざけると同時に選択の権利からも遠ざけることによって初めて獲得しうるものである。そうでなく、経済自由とは、経済活動の自由でなければならない。もちろんそれは、選択の権利をもたらすとともに、それに伴う危険や損失、そしして責任を個人に課してくるのだが」と。これにしびれます。そして、経済的問題の解決には富の増大しかないことを説くのである。
ここで、たとえば派遣労働者の問題を考えてみたい。製造業への派遣労働禁止と派遣労働者の正社員化を図ろうと政府が派遣法を改正しようとしているのは承知のとおりである。さらに、契約社員まで正社員化しようとしているのである。この議論は、正社員を善、そのほかを悪とする単純な二元論から成り立っている。ところが、正社員の解雇制限をそのままにしてこれを強力に推し進めると何が起こるかは明白である。正社員の低賃金化とイノベーションの低下、ひいては国力の低下を招くと考える。本来の道は、正社員の過度な解雇制限を緩和すると同時に、個人の競争を徹底させる「機会の平等」を法によって担保すればよいのである。
たとえば、現在の労働法制や判例からは、仕事ができない人間を解雇するのはほぼ不可能であるだけでなく、賃下げさえ「不利益変更の禁止」理論でほぼ不可能である。企業は膨大なコストをかけてそういう労働者を雇用し続ける必要があるのである。派遣労働の禁止を主張する人々は、こういう正社員の優越的地位を労働者全体に及ぼしたいと主張する。しかし、この優越的地位自体が問題である。会社にとって必要のない人間を雇い続けることを強制されることによる経済的損失が問題である。有能も無能もいっしょくたなのである。経済的自由を経済活動の自由と責任であるとすると、雇用される側は競争を通じて最善の努力をしなければならない。最善の努力は適正な誘因によって動機づけられていなければならない。努力する・しないは、その当人の「自由」なのである。
厳しい言い方をするが、就職氷河期でも就職できる学生は多い。それではなぜ就職できない学生がでてくるのか。企業が求めるポテンシャルを持っていないからである。事実はシンプルである。別の角度から言うと、企業によって求めるポテンシャルの質は異なり、違うタイプの企業を回ると就職できたりする。しかし、何かに打ち込んだ経験や、それがなければひたむきな努力なしに就職できるはずもないのである。学生が学生の本分を果たさなければ就職できないのは当たり前である。大学名で差別するな、個人を見てほしい、とよく言うが、それなら一流大学に入る努力を否定してもよいのか。努力するもしないも「個人の自由」である。それをさせるもさせないも「親の自由」である。この時期でも就職できないと嘆く学生がいる。能力を見てもらえないと嘆く前に、自分の能力と直面して、何が足りないか、何をしないといけないのか見つめなおしてほしい。こういう就活生には、下手な就活本など読まずに、日本の選抜制度の研究の金字塔、竹内洋(1995)『日本のメリトクラシー:構造と心性』東京大学出版会の一読をお勧めします。これを読めば80年代からの日本の受験・就職・出世の理論的理解と構造が理解できると思います。リンクをWEBCATにしておきました。文科系の学校でまともな大学図書館には所蔵されているはずです。
高名な大学教授の方から学生を見てほしいとお願いされることがよくあります。ほぼダメです。なぜか。よく自己分析というが、そんなことはどうでもいい。うまくいかない人の共通点は、企業がどんな人間を求めているかの核心を勉強しようとしないこと。自分に何ができるか・何ができないかよりも、企業が求めている人間像をつかめない。確かに高名な大学教授の方のゼミに所属しているので勉強もよくできるし積極性も感じる。しかし何かが足りない。共通しているのは、「就職活動も競争」ということを理解せずに、自分の優位性だけで勝負しようとしている。
最後は全く違うところに議論が行ってしまった。お許しあれ。ぜひ一読をお勧めします。
目次
1994年版序文 ミルトン・フリードマン
序章
第1章 見捨てられた道
第2章 偉大なユートピア
第3章 個人主義と集産主義
第4章 計画の「不可避性」
第5章 計画化と民主主義
第6章 計画化と「法の支配」
第7章 経済統制と全体主義
第8章 誰が、誰を?
第9章 保障と自由
第10章 なぜ最悪の者が指導者となるのか
第11章 真実の終わり
第12章 ナチズムの基礎としての社会主義
第13章 我々の中の全体主義者
第14章 物質的条件と道徳的理想
第15章 国際秩序の今後の展望
結び
原注・参考文献
初版まえがき
1976年版へのまえがき
訳者あとがきにかえて
これを読むと、今の民主党の議論が未熟なこと、またアメリカの中間選挙でなぜTea Partyがアメリカであれだけの支持を得ることができるのか、はたまた会社での経費賦課の不毛な論争にも、この本が与えてくれるロバストな視点は非常に有用である。
集産主義として代表される共産主義やファシズムに対する徹底的な批判と同時に、「法の支配」による権力の集中の防止と分散により、個人が競争を通じて努力する。人間は自分の利益になることにしか最善の努力をしないので、「適正な誘因」が必要である。そのためには自由でなければならないのである。ハイエクはこうも言う:「経済的自由は、ほかのどんな自由にも先立つ前提条件であるが、社会主義者が約束するような「経済的心配からの自由」とは全く異なっている。後者の自由とは、個人を欠乏から遠ざけると同時に選択の権利からも遠ざけることによって初めて獲得しうるものである。そうでなく、経済自由とは、経済活動の自由でなければならない。もちろんそれは、選択の権利をもたらすとともに、それに伴う危険や損失、そしして責任を個人に課してくるのだが」と。これにしびれます。そして、経済的問題の解決には富の増大しかないことを説くのである。
ここで、たとえば派遣労働者の問題を考えてみたい。製造業への派遣労働禁止と派遣労働者の正社員化を図ろうと政府が派遣法を改正しようとしているのは承知のとおりである。さらに、契約社員まで正社員化しようとしているのである。この議論は、正社員を善、そのほかを悪とする単純な二元論から成り立っている。ところが、正社員の解雇制限をそのままにしてこれを強力に推し進めると何が起こるかは明白である。正社員の低賃金化とイノベーションの低下、ひいては国力の低下を招くと考える。本来の道は、正社員の過度な解雇制限を緩和すると同時に、個人の競争を徹底させる「機会の平等」を法によって担保すればよいのである。
たとえば、現在の労働法制や判例からは、仕事ができない人間を解雇するのはほぼ不可能であるだけでなく、賃下げさえ「不利益変更の禁止」理論でほぼ不可能である。企業は膨大なコストをかけてそういう労働者を雇用し続ける必要があるのである。派遣労働の禁止を主張する人々は、こういう正社員の優越的地位を労働者全体に及ぼしたいと主張する。しかし、この優越的地位自体が問題である。会社にとって必要のない人間を雇い続けることを強制されることによる経済的損失が問題である。有能も無能もいっしょくたなのである。経済的自由を経済活動の自由と責任であるとすると、雇用される側は競争を通じて最善の努力をしなければならない。最善の努力は適正な誘因によって動機づけられていなければならない。努力する・しないは、その当人の「自由」なのである。
厳しい言い方をするが、就職氷河期でも就職できる学生は多い。それではなぜ就職できない学生がでてくるのか。企業が求めるポテンシャルを持っていないからである。事実はシンプルである。別の角度から言うと、企業によって求めるポテンシャルの質は異なり、違うタイプの企業を回ると就職できたりする。しかし、何かに打ち込んだ経験や、それがなければひたむきな努力なしに就職できるはずもないのである。学生が学生の本分を果たさなければ就職できないのは当たり前である。大学名で差別するな、個人を見てほしい、とよく言うが、それなら一流大学に入る努力を否定してもよいのか。努力するもしないも「個人の自由」である。それをさせるもさせないも「親の自由」である。この時期でも就職できないと嘆く学生がいる。能力を見てもらえないと嘆く前に、自分の能力と直面して、何が足りないか、何をしないといけないのか見つめなおしてほしい。こういう就活生には、下手な就活本など読まずに、日本の選抜制度の研究の金字塔、竹内洋(1995)『日本のメリトクラシー:構造と心性』東京大学出版会の一読をお勧めします。これを読めば80年代からの日本の受験・就職・出世の理論的理解と構造が理解できると思います。リンクをWEBCATにしておきました。文科系の学校でまともな大学図書館には所蔵されているはずです。
高名な大学教授の方から学生を見てほしいとお願いされることがよくあります。ほぼダメです。なぜか。よく自己分析というが、そんなことはどうでもいい。うまくいかない人の共通点は、企業がどんな人間を求めているかの核心を勉強しようとしないこと。自分に何ができるか・何ができないかよりも、企業が求めている人間像をつかめない。確かに高名な大学教授の方のゼミに所属しているので勉強もよくできるし積極性も感じる。しかし何かが足りない。共通しているのは、「就職活動も競争」ということを理解せずに、自分の優位性だけで勝負しようとしている。
最後は全く違うところに議論が行ってしまった。お許しあれ。ぜひ一読をお勧めします。
目次
1994年版序文 ミルトン・フリードマン
序章
第1章 見捨てられた道
第2章 偉大なユートピア
第3章 個人主義と集産主義
第4章 計画の「不可避性」
第5章 計画化と民主主義
第6章 計画化と「法の支配」
第7章 経済統制と全体主義
第8章 誰が、誰を?
第9章 保障と自由
第10章 なぜ最悪の者が指導者となるのか
第11章 真実の終わり
第12章 ナチズムの基礎としての社会主義
第13章 我々の中の全体主義者
第14章 物質的条件と道徳的理想
第15章 国際秩序の今後の展望
結び
原注・参考文献
初版まえがき
1976年版へのまえがき
訳者あとがきにかえて
2010年10月3日日曜日
ハーバード白熱教室 in Japan
またもや登場です。
今日10月3日18時からハーバード白熱教室 in Japan をやっていました。9月26日のETVでもやっていましたが、イチローとオバマ大統領の年俸の違いの話など、基本的には本編を敷衍した構成でした。NHKオンデマンドで買えますから、まだ見ていない人は、ぜひ見てください。日本人でもきちんと議論できる、日本人でもきちんと考えている。といっても応募者がこういう議論好きなのはあるだろう。
これを見ると、東大安田講堂というセッティングが抜群で、ハーバードと同じような雰囲気を出しているのに気づく。そしてサンデル教授の進行のうまさ。私が教わった神戸大の三品先生や松尾(博)先生もこういう雰囲気をお持ちだ。学生との議論とそのインタラクションを重要視しているのだと思う。研修講師をよく引き受けていたが、こうはいかない。
今日10月3日18時からハーバード白熱教室 in Japan をやっていました。9月26日のETVでもやっていましたが、イチローとオバマ大統領の年俸の違いの話など、基本的には本編を敷衍した構成でした。NHKオンデマンドで買えますから、まだ見ていない人は、ぜひ見てください。日本人でもきちんと議論できる、日本人でもきちんと考えている。といっても応募者がこういう議論好きなのはあるだろう。
これを見ると、東大安田講堂というセッティングが抜群で、ハーバードと同じような雰囲気を出しているのに気づく。そしてサンデル教授の進行のうまさ。私が教わった神戸大の三品先生や松尾(博)先生もこういう雰囲気をお持ちだ。学生との議論とそのインタラクションを重要視しているのだと思う。研修講師をよく引き受けていたが、こうはいかない。
2010年8月1日日曜日
科学革命の構造(クーン) 読了しました
「コペルニクス的転回」略して「コペ転」。
高校のころに、この言葉と出会って、うまいこと言うな~、と感じ入った経験があります。この言葉自体は、カントの純粋理性批判の「認識が対象にしたがわなければならない」、つまり対象が認識を作る(経験でしか語れない)という立場から、「対象が認識にしたがわなければならない」、つまり認識が対象を見出す(理性が見いだせる)という全く逆の見方をすることで経験から解き放たれることを指しています。いまや、コペルニクス的展開という言葉を聞くことは少なくなってしまったが、「パラダイム」はいつでもどこでも誰もが「大きな枠組み」といったような意味合いで使うようになった。もっと違う形で「パラダイムシフト」を「競争のルールが変わること」という説明を加えている場合すらあるのである。ところが、クーンはこんなことは言っていない。
クーンの「パラダイム」とは、次の2つの性格を持つ業績のことである:
・ ほかの対立競争する科学研究活動を棄てて、それを支持しようとする特に熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持っていて、
・ 業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示している
クーンは、プトレマイオス天文学とコペルニクス天文学の誕生の過程で「パラダイム」の転換についてうまく説明している。紀元前2世紀から紀元2世紀の間に発展したプトレマイオスの体系による恒星の位置変化の予測は、現在でも実用に耐えうる。ところが、惑星ではコペルニクスと「同じぐらい」の精度を持っていたのだが、プトレマイオス体系で行った予測は当時最良の観測値とうまく合わなかった。そのため食い違いを少なくする補正をプトレマイオスの体系に加えていくが、一方を直せば他方が食い違うというようになり、天文学は恐ろしく複雑な学問となってしまう。そして、16世紀にはプトレマイオスの体系のように込み入っていて不正確なものは自然を真に(「同じぐらい」ではなく「完全に」)表していないと考えられるようになり、プトレマイオスの「パラダイム」からうまく当てはまらないということの認識から、コペルニクスはプトレマイオスのパラダイムを捨て、新しいパラダイムを求めさせる前提になったのである。ほかにはアリストテレスからニュートン、そしてアインシュタイン、ニュートリノに至る物理学、プリーストリーからラヴォアジェに至る酸素の発見まで、様々な例を用いて、パラダイムが説明される。そして、パラダイムとは、科学共同体で生み出される具体的業績の見本例であると説く。
パラダイム転換の概念は、もともと現在使われているような形で使われたのではなく、科学の発展が累積的・漸進的・連続的に起こるのではなく、質的な変化を含む非連続的なプロセスであることを現したものである。たとえば、プトレマイオス天文学が今となっては古い学問の「パラダイム」ではあっても、それはプトレマイオス天文学が科学でなかったわけではない。プトレマイオス天文学は、紀元前2世紀から累積的・漸進的・連続的に研究され、16世紀までは天文学の正統であった。しかし、うまく説明できないことが起こり、非連続的なプロセスからコペルニクス天文学が誕生している。
そして、クーン自身が、この本の主要点がほかの分野に応用できると読者が読みとったからこそ愛読されたのではないかとい点については、もともと文学、音楽、芸術、政治などの分野で起こる「革命的断絶」、つまり様式、嗜好、体制などの変化が往々にして革命的断絶で起こることから応用したと言っているのである。
やはり古典は読んでみるものである。この本は600円の古本だったが、新刊書でも同じ中身である。訳が古臭くて今一歩とは思うが、自分の知識をしっかりと整理するうえでは非常に役立つ。コペルニクス天文学のパラダイム転換の話は、商売や組織でも十分に使える強力なメタファーである。
Kuhn, T., S.(1962) The Structure of Scientific Revolutions. Chicago: The University of Chicago Press. 邦訳 トーマス・クーン(1971)『科学革命の構造』中山茂 訳、みすず書房
目次
まえがき
第1章 序論:歴史にとっての役割
第2章 通常科学への道
第3章 通常科学の性格
第4章 パズル時としての通常科学
第5章 パラダイムの優先
第6章 変則性と科学的発見の出現
第7章 危機と科学理論の出現
第8章 危機への対応
第9章 科学革命の本質と必然性
第10章 世界観の変革としての革命
第11章 革命が目立たないこと
第12章 革命の決着
第13章 革命を通しての進歩
補章 1969年
註
訳者あとがき
高校のころに、この言葉と出会って、うまいこと言うな~、と感じ入った経験があります。この言葉自体は、カントの純粋理性批判の「認識が対象にしたがわなければならない」、つまり対象が認識を作る(経験でしか語れない)という立場から、「対象が認識にしたがわなければならない」、つまり認識が対象を見出す(理性が見いだせる)という全く逆の見方をすることで経験から解き放たれることを指しています。いまや、コペルニクス的展開という言葉を聞くことは少なくなってしまったが、「パラダイム」はいつでもどこでも誰もが「大きな枠組み」といったような意味合いで使うようになった。もっと違う形で「パラダイムシフト」を「競争のルールが変わること」という説明を加えている場合すらあるのである。ところが、クーンはこんなことは言っていない。
クーンの「パラダイム」とは、次の2つの性格を持つ業績のことである:
・ ほかの対立競争する科学研究活動を棄てて、それを支持しようとする特に熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持っていて、
・ 業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示している
クーンは、プトレマイオス天文学とコペルニクス天文学の誕生の過程で「パラダイム」の転換についてうまく説明している。紀元前2世紀から紀元2世紀の間に発展したプトレマイオスの体系による恒星の位置変化の予測は、現在でも実用に耐えうる。ところが、惑星ではコペルニクスと「同じぐらい」の精度を持っていたのだが、プトレマイオス体系で行った予測は当時最良の観測値とうまく合わなかった。そのため食い違いを少なくする補正をプトレマイオスの体系に加えていくが、一方を直せば他方が食い違うというようになり、天文学は恐ろしく複雑な学問となってしまう。そして、16世紀にはプトレマイオスの体系のように込み入っていて不正確なものは自然を真に(「同じぐらい」ではなく「完全に」)表していないと考えられるようになり、プトレマイオスの「パラダイム」からうまく当てはまらないということの認識から、コペルニクスはプトレマイオスのパラダイムを捨て、新しいパラダイムを求めさせる前提になったのである。ほかにはアリストテレスからニュートン、そしてアインシュタイン、ニュートリノに至る物理学、プリーストリーからラヴォアジェに至る酸素の発見まで、様々な例を用いて、パラダイムが説明される。そして、パラダイムとは、科学共同体で生み出される具体的業績の見本例であると説く。
パラダイム転換の概念は、もともと現在使われているような形で使われたのではなく、科学の発展が累積的・漸進的・連続的に起こるのではなく、質的な変化を含む非連続的なプロセスであることを現したものである。たとえば、プトレマイオス天文学が今となっては古い学問の「パラダイム」ではあっても、それはプトレマイオス天文学が科学でなかったわけではない。プトレマイオス天文学は、紀元前2世紀から累積的・漸進的・連続的に研究され、16世紀までは天文学の正統であった。しかし、うまく説明できないことが起こり、非連続的なプロセスからコペルニクス天文学が誕生している。
そして、クーン自身が、この本の主要点がほかの分野に応用できると読者が読みとったからこそ愛読されたのではないかとい点については、もともと文学、音楽、芸術、政治などの分野で起こる「革命的断絶」、つまり様式、嗜好、体制などの変化が往々にして革命的断絶で起こることから応用したと言っているのである。
やはり古典は読んでみるものである。この本は600円の古本だったが、新刊書でも同じ中身である。訳が古臭くて今一歩とは思うが、自分の知識をしっかりと整理するうえでは非常に役立つ。コペルニクス天文学のパラダイム転換の話は、商売や組織でも十分に使える強力なメタファーである。
Kuhn, T., S.(1962) The Structure of Scientific Revolutions. Chicago: The University of Chicago Press. 邦訳 トーマス・クーン(1971)『科学革命の構造』中山茂 訳、みすず書房
目次
まえがき
第1章 序論:歴史にとっての役割
第2章 通常科学への道
第3章 通常科学の性格
第4章 パズル時としての通常科学
第5章 パラダイムの優先
第6章 変則性と科学的発見の出現
第7章 危機と科学理論の出現
第8章 危機への対応
第9章 科学革命の本質と必然性
第10章 世界観の変革としての革命
第11章 革命が目立たないこと
第12章 革命の決着
第13章 革命を通しての進歩
補章 1969年
註
訳者あとがき
2010年7月11日日曜日
これからの「正義」の話をしよう(サンデル) 読了しました
読み終わりました。思考を鍛えるために、大学学部生に読んでほしい1冊です。
本の内容は、NHK「ハーバード白熱教室」の講義録で、ほぼその内容を敷衍する形で進んでいます。放送をご覧になったかたはより深く理解が進むと思います。残念ながらNHKは一部しか見ることはできませんが、英語のオリジナル(Justice with Michael Sandel)であれば、すべての回を見ることができます。ただ、学生とのインタラクションによって、議論が深まって素晴らしい仕上がりの講義になっているのですが、講義録にはそのインタラクションは入っていません(当然ですね)。
ベンサムとミルの功利主義、ノージックのリバタリアニズム、市場と倫理、カントの「道徳形而上学原論」から自由な選択と動機、ロールズの「正義論」から平等と正義、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」「政治学」から目的因(テロス)など、西洋法哲学の歴史を俯瞰しながら様々なケースを用いて、平易に説明していく。救命ボートのカニバリズム、煙草会社の出した肺がんの便益、フォードの爆発するガソリンタンクの補修費と安全性向上の便益、マイケルジョーダンのチケット、徴兵制・志願兵・傭兵、ビルとモニカ、アファーマティブアクション、妊娠中絶をめぐる議論、同性婚など、アメリカ人であればいやでも直面する身近な問題に、哲学の理論との接点をうまく見つけて説明している。
私は、イギリスとアメリカに長く駐在していたこともあって、特にビルとモニカの問題についてはアメリカでその時代の空気を吸って身近な問題として理解できるし、イラク侵攻の日にアメリカを去った人間として、イラク侵攻前の張りつめた空気のなかで徴兵制と志願兵の問題が語られていたことも十分に理解しているので、例が非常に適切であると感じられた。このように豊富なアナロジーを提示しながら教えていく手法は、非常に効果的と感じる。
最近、グローバル人材をどのようにして育成するかといった議論が盛んである。世界で活躍するためには、英語のコミュニケーション(こういう場合はOralな部分を指すことが大部分)が重要である、といった議論も盛んである。しかし、様々な欧米人と渡り合ってきた経験からいうと、英語も大事だが、それよりも重要なのは、プラトン・アリストテレスに始まる哲学や聖書への理解である。それには大学の一般教養で行われている教育が非常に有用であると改めて感じる。欧米人の思考回路は、西洋哲学とキリスト教に裏打ちされている。アメリカ人と同じ空気を吸うことはできなくても、思考回路の元は幸いにも日本語で勉強できる。英語が上手なことはいいことだが、英語が上手なだけでその思考回路に迫っていなければ、彼らとの交渉で「なぜ」こういう結論に行きつくのか、という深いところは理解できないと思う。
この本が、そういう基礎素養を身につけようとする人々のきっかけとなればよいと思う。
Sandel, M.(2009) Justice: What's the Right Thing to Do? New York: Farrar, Strauss & Giroux. 邦訳 マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう―今を生き延びるための哲学』鬼澤忍 訳、早川書房。
目次
第1章 正しいことをする
第2章 最大幸福原理―功利主義
第3章 私は私のものか?-リバタリアニズム(自由至上主義)
第4章 雇われ助っ人―市場と倫理
第5章 重要なのは動機―イマヌエル・カント
第6章 平等をめぐる議論―ジョン・ロールズ
第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第8章 誰が何に値するか―アリストテレス
第9章 たがいに負うものは何か―忠誠のジレンマ
第10章 正義と共通善
謝辞
原注
(訳者のまえがきやあとがきが一切ないのは非常に好感が持てるやり方です!)
本の内容は、NHK「ハーバード白熱教室」の講義録で、ほぼその内容を敷衍する形で進んでいます。放送をご覧になったかたはより深く理解が進むと思います。残念ながらNHKは一部しか見ることはできませんが、英語のオリジナル(Justice with Michael Sandel)であれば、すべての回を見ることができます。ただ、学生とのインタラクションによって、議論が深まって素晴らしい仕上がりの講義になっているのですが、講義録にはそのインタラクションは入っていません(当然ですね)。
ベンサムとミルの功利主義、ノージックのリバタリアニズム、市場と倫理、カントの「道徳形而上学原論」から自由な選択と動機、ロールズの「正義論」から平等と正義、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」「政治学」から目的因(テロス)など、西洋法哲学の歴史を俯瞰しながら様々なケースを用いて、平易に説明していく。救命ボートのカニバリズム、煙草会社の出した肺がんの便益、フォードの爆発するガソリンタンクの補修費と安全性向上の便益、マイケルジョーダンのチケット、徴兵制・志願兵・傭兵、ビルとモニカ、アファーマティブアクション、妊娠中絶をめぐる議論、同性婚など、アメリカ人であればいやでも直面する身近な問題に、哲学の理論との接点をうまく見つけて説明している。
私は、イギリスとアメリカに長く駐在していたこともあって、特にビルとモニカの問題についてはアメリカでその時代の空気を吸って身近な問題として理解できるし、イラク侵攻の日にアメリカを去った人間として、イラク侵攻前の張りつめた空気のなかで徴兵制と志願兵の問題が語られていたことも十分に理解しているので、例が非常に適切であると感じられた。このように豊富なアナロジーを提示しながら教えていく手法は、非常に効果的と感じる。
最近、グローバル人材をどのようにして育成するかといった議論が盛んである。世界で活躍するためには、英語のコミュニケーション(こういう場合はOralな部分を指すことが大部分)が重要である、といった議論も盛んである。しかし、様々な欧米人と渡り合ってきた経験からいうと、英語も大事だが、それよりも重要なのは、プラトン・アリストテレスに始まる哲学や聖書への理解である。それには大学の一般教養で行われている教育が非常に有用であると改めて感じる。欧米人の思考回路は、西洋哲学とキリスト教に裏打ちされている。アメリカ人と同じ空気を吸うことはできなくても、思考回路の元は幸いにも日本語で勉強できる。英語が上手なことはいいことだが、英語が上手なだけでその思考回路に迫っていなければ、彼らとの交渉で「なぜ」こういう結論に行きつくのか、という深いところは理解できないと思う。
この本が、そういう基礎素養を身につけようとする人々のきっかけとなればよいと思う。
Sandel, M.(2009) Justice: What's the Right Thing to Do? New York: Farrar, Strauss & Giroux. 邦訳 マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう―今を生き延びるための哲学』鬼澤忍 訳、早川書房。
目次
第1章 正しいことをする
第2章 最大幸福原理―功利主義
第3章 私は私のものか?-リバタリアニズム(自由至上主義)
第4章 雇われ助っ人―市場と倫理
第5章 重要なのは動機―イマヌエル・カント
第6章 平等をめぐる議論―ジョン・ロールズ
第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第8章 誰が何に値するか―アリストテレス
第9章 たがいに負うものは何か―忠誠のジレンマ
第10章 正義と共通善
謝辞
原注
(訳者のまえがきやあとがきが一切ないのは非常に好感が持てるやり方です!)
2010年7月3日土曜日
これからの「正義」の話をしよう(サンデル)
NHK「ハーバード白熱教室」が終了しました。英語のオリジナル(Justice with Michael Sandel)であれば、すべての回を見ることができますので、ぜひご覧ください。iTuneでもあったと思います。
ハーバードはアメリカ最高峰の一つですので、このレベルの授業がすべてのアメリカの大学で行われているとはいえないと思いますが、あれだけの教室(というかホールです)に集まったおそらく1000名を超える学生を相手に、ソクラテス問答法に近い授業が展開されているのは、驚きを超えて感動です。一人で、しかも学生との距離がある空間の中で、インタラクティブに授業を展開する力量は、素晴らしいの一言でした。私も会社で研修講師をすることがあり、この授業の進め方は非常に参考になります。
神戸MBAでも海外で教鞭をとられたり学位を取られた先生は、こういう感じの授業の進め方をされます。黙っているとどんどん指名され、それを機に議論が始まっていく。サンデル先生のようにはいかないまでも、70名の学生(しかも全員海千山千の社会人)を前に、ぐいぐいと授業を進めていく力量ある先生方が多く、神戸MBAで学ぶよさになっていると思います。
今回は、出版初日に購入して、積読状態だったSandel, M.(2009) Justice: What's the Right Thing to Do? New York: Farrar, Strauss & Giroux. 邦訳 マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう―今を生き延びるための哲学』鬼澤忍 訳、早川書房。を読みます。Penguinのペーパーバックが安いので、英語で読める方は、こちらがよいと思います。
NHKを最初からご覧になっていない方は、英語で全部の回を一度見てから読むと分かりやすいと思います。
ハーバードはアメリカ最高峰の一つですので、このレベルの授業がすべてのアメリカの大学で行われているとはいえないと思いますが、あれだけの教室(というかホールです)に集まったおそらく1000名を超える学生を相手に、ソクラテス問答法に近い授業が展開されているのは、驚きを超えて感動です。一人で、しかも学生との距離がある空間の中で、インタラクティブに授業を展開する力量は、素晴らしいの一言でした。私も会社で研修講師をすることがあり、この授業の進め方は非常に参考になります。
神戸MBAでも海外で教鞭をとられたり学位を取られた先生は、こういう感じの授業の進め方をされます。黙っているとどんどん指名され、それを機に議論が始まっていく。サンデル先生のようにはいかないまでも、70名の学生(しかも全員海千山千の社会人)を前に、ぐいぐいと授業を進めていく力量ある先生方が多く、神戸MBAで学ぶよさになっていると思います。
今回は、出版初日に購入して、積読状態だったSandel, M.(2009) Justice: What's the Right Thing to Do? New York: Farrar, Strauss & Giroux. 邦訳 マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう―今を生き延びるための哲学』鬼澤忍 訳、早川書房。を読みます。Penguinのペーパーバックが安いので、英語で読める方は、こちらがよいと思います。
NHKを最初からご覧になっていない方は、英語で全部の回を一度見てから読むと分かりやすいと思います。
2010年6月26日土曜日
またまた古本屋
吉原英樹(1988)『「ばかな」と「なるほど」:経営成功 のキメ手!』同文舘出版と、吉原英樹、安室憲一、金井一頼(1987)『「非」常識の経営』東洋経済新報社の2冊を探して、こまめに古本屋を回っています。しかし、なかなかめぐりあうことがありません。こういう本なら意外と100円均一なんかに入っていることが多いので、とにかくいろいろ回るようにはしています。最近では、会社帰りに天牛堺書店 大江橋店を冷やかすことが多くなっています。入れ替えでいろんな本が入ってくるので、ぶらぶらしてみています。そんな中で、いわゆる「積読」の本を買いました。
Marx, K. (1867) Das Kapital: Kritik der Politischen Oekonimie, Hamburg: Verlag (マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳(1968)『資本論』大月書店 全五巻) です。箱はなかったのですが、ほとんど読まれた形跡がなく、1冊250円で1,250円。5冊買っても現行の国民文庫版 大月書店の1冊分にもならない。学生時代に資本論は「ええかっこして」よみましたが、もう一度どこかで読む機会がほしいと思っていたところ、たまたまこんな値段で出ていたので買ってしまいました。いずれは読みます。
次は、Russel, B., (1946) History of Western Philosophy, London: Routridge.(市井三郎訳(1968)『西洋哲学史:古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』みすず書房)です。 Routridgeのペーパーバック版は2度ほど読んでいまでもありますが、1,400円でしたので買いました。3冊組の71年版ですと1冊5,000円ほどしますので、これも10分の1程度のお値段です。これもいずれは読むつもりで買いました。
Marx, K. (1867) Das Kapital: Kritik der Politischen Oekonimie, Hamburg: Verlag (マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳(1968)『資本論』大月書店 全五巻) です。箱はなかったのですが、ほとんど読まれた形跡がなく、1冊250円で1,250円。5冊買っても現行の国民文庫版 大月書店の1冊分にもならない。学生時代に資本論は「ええかっこして」よみましたが、もう一度どこかで読む機会がほしいと思っていたところ、たまたまこんな値段で出ていたので買ってしまいました。いずれは読みます。
次は、Russel, B., (1946) History of Western Philosophy, London: Routridge.(市井三郎訳(1968)『西洋哲学史:古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』みすず書房)です。 Routridgeのペーパーバック版は2度ほど読んでいまでもありますが、1,400円でしたので買いました。3冊組の71年版ですと1冊5,000円ほどしますので、これも10分の1程度のお値段です。これもいずれは読むつもりで買いました。
2010年6月10日木曜日
知的創造企業(野中・竹内)
やっぱり日本発でロバストな経営理論といえば、野中郁次郎、竹内弘高(1996)『知的創造企業』(梅本勝博訳)東洋経済新報社に尽きるかもしれない。何度も読みました。安い本なんで、経営学をやる人は絶対に押さえておくべき名著です。閉塞感漂う現代にこそ、この本をしっかり読む意義があると思う。来週の出張に持っていきます。
2010年6月9日水曜日
白川静読本(平凡社編) 読了しました。
白川静といえば、古代漢字の学者で、「孔子伝」の作家という印象しかなく、「道」の字の起源の話は知っていたのですが、この平凡社編(2010)『白川静読本』平凡社を読んで、知の巨人だったとの印象を深くしました。
内田樹は、「世界と人間の成り立ちについて本質的なことをいくつか教えていただいた」という。梅原猛をして、「強靭な思弁によって独創的な新しい学問を打ち立てた」と言わしめる。吉本隆明が「この大碩学について言うべき言葉を持たない」と評する。そして、保坂和志は「白川静もハイデガーも(中略)人間は自然やほかの動物を征圧することで人間となったということを言っている」から「感動した」のである。これだけのことを言葉は違えど、47名が思い思いに伝えようとしていることが白川静のすごさを物語っているのだと思う。
いままで、経営学を勉強するに当たり、ソクラテス・プラトン、アリストテレスに始まり、ウェーバーやマートン、そしてソシュールやレヴィストロース、フーコーまで、「考え方」といえば、西洋哲学であった(この辺りについては、野中郁次郎(2003)『知識創造の方法論:ナレッジワーカーの作法』東洋経済新報社に詳しい)。神戸大の学力総合試験や博士後期入学試験の経営管理や定性的方法論についても、ほとんどがそうである。しかし一方で、東洋には漢字文化の膨大な蓄積がある。そこに改めて目を向けさせてくれそうなのが白川静であろう。
マイブームになりそうな気がしてちょっと怖い。
平凡社編(2010)『白川静読本』平凡社
目次
巻頭対談 呪能と歌の心―白川静の魅力
第1章 白川静という人
第2章 白川学の広がり
第3章 著作をどう読むか
主要著作一覧
白川静略年譜
内田樹は、「世界と人間の成り立ちについて本質的なことをいくつか教えていただいた」という。梅原猛をして、「強靭な思弁によって独創的な新しい学問を打ち立てた」と言わしめる。吉本隆明が「この大碩学について言うべき言葉を持たない」と評する。そして、保坂和志は「白川静もハイデガーも(中略)人間は自然やほかの動物を征圧することで人間となったということを言っている」から「感動した」のである。これだけのことを言葉は違えど、47名が思い思いに伝えようとしていることが白川静のすごさを物語っているのだと思う。
いままで、経営学を勉強するに当たり、ソクラテス・プラトン、アリストテレスに始まり、ウェーバーやマートン、そしてソシュールやレヴィストロース、フーコーまで、「考え方」といえば、西洋哲学であった(この辺りについては、野中郁次郎(2003)『知識創造の方法論:ナレッジワーカーの作法』東洋経済新報社に詳しい)。神戸大の学力総合試験や博士後期入学試験の経営管理や定性的方法論についても、ほとんどがそうである。しかし一方で、東洋には漢字文化の膨大な蓄積がある。そこに改めて目を向けさせてくれそうなのが白川静であろう。
マイブームになりそうな気がしてちょっと怖い。
平凡社編(2010)『白川静読本』平凡社
目次
巻頭対談 呪能と歌の心―白川静の魅力
第1章 白川静という人
第2章 白川学の広がり
第3章 著作をどう読むか
主要著作一覧
白川静略年譜
2010年6月6日日曜日
久々に古本屋へ!
週末、久々に古本屋に行きました。嫁はんとけんかしたので、ちょっと頭冷やしです。
この前、神保町ですこし悔しい思いをしたので、古本屋に行くことにしました。
北大阪在住ですので、まずは、石橋の太田書店。ここは理数系の本が多く、経営系はあまりありません。まあ、ちらっとのぞいたようなものです。ここでは何も買わず。
次に梅田のかっぱ横丁にある阪急古書の街。ここには京都の梁山泊や心斎橋の中尾書店の出店があり、平日夜8時までやっているのでちょくちょく見に来ます。石橋の太田書店の出店もあります。中を見て結局買わずに、阪神百貨店地下の対面まで歩いて萬字屋書店へ。ここにはハイエク『自由の条件(ハイエク全集)』春秋社があったので買おうかと思いましたがちょっと高かったのでやめ。
これから、大江橋か船場センタービルの天牛堺書店まで足を伸ばすか、どうしようか考えていましたが、ふと、関大前に行ってみることにしました。
関大前で降りると、まず、駅前のBOOK OFF 関大前へ。大学の近所ということで、品ぞろえはなかなか。ここでは2冊買いました。占部都美(1997)『経営学入門 改訂増補版』中央経済社と金井壽宏(1993)『ニューウェーブマネジメント:思索する経営』創元社。ニューウェーブは初版帯つき程度まあまあで105円でした。経営学入門は、美本でしたから1,600円しましたが、よさそうでしたから買いました。
次に、関大前通りにある「若草」で食事をしようとしたらシャッターが下りている。通りがかりの学生らしき若者に聞くと、つぶれたらしい。1年ほど前に修論の資料が関大にしかなく、その資料をコピーに来たときに「サービス」の「一口かつ」を食べたのが最後になりました。残念でなりません!
そしてその若草から30メートルぐらい行ったところに小さい古本屋が。ここには教科書のオンパレード。マンキューの経済学が山のように置いてあります。
ここでもあまり食指が動かず、文砦へ。ちょっと分かりにくい場所にあります。ここは法律書が豊富で、社会科学もそれなりにおいてあります。労働法関係を少し見ましたが、法律関係は新しくないとあまり意味がないと思いなおして、なにも買わず。 遅い昼飯を松屋の牛飯250円味噌汁つきで取ったのち、さて、ここからどこに行くか。
最近健康のために歩いていますから、関大前から緑地公園まで歩いて、天牛書店 に行くことにしました。千里山の住宅街を1時間強歩きます。天牛といえば、私が学生のころは、御堂筋から周防町を西に入って、少し行ったところの左側にありました。アメリカ村のど真ん中にあったのですが、江坂(というか千里山というか、緑地公園というか)に移ってすでに相当の日々が経っています。しかし、おそらく大阪近辺では一番大型古書店ではないでしょうか。十数年ぶりにやってきました。
購入したのは4冊。Singh, S. (1997) Fermat's Last Theorem: New York, Fourth Estate. (青木薫訳『フェルマーの最終定理:ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』新潮社、石井淳蔵(1993)『マーケティングの神話』日本経済新聞社、新田次郎(1974)『アラスカ物語』新潮社の初版帯つき、新田次郎(1977)『剱岳・点の記』文藝春秋の単行本初版 の4冊です。新田次郎の初版本は両方とも100円。状態はそれ相応なので100円なのですが、それでも安いので買ってしまいました。マーケティングの神話は、院生時代に図書館で借りて読んだのですが、マーケティングをやっていたわけではないので買っていませんでしたが、安く古本が出ていたので買ってしまいました。
そしてなぜフェルマーを買ったかというと、最終面接したある理系の学生が、最近読んだ本にこれを出してきたからです。「おぉぉぉ、久々に骨のある奴が!」と思って、「フェルマーの最終定理ってなに?」とお尋ねしました(私は知っている)。「ちょっと数式が難しいので・・・・」というので、「それならピタゴラスの定理は説明できますか?」といったら「ん、ピタゴラスですか・・・.。それも難しい数式ですけど・・・・・」という具合でピンとこない。5秒沈黙ののち、「ピタゴラス数は中学3年レベルやで。X^2 + Y^2 = Z^2 になる自然数のことで、たとえば、X=3, Y=4, Z=5というように、無限数ある。これは中学校の数学問題や。証明方法も何通りか教わる。しかし、自然数nが3以上 のとき、X^n + Y^n = Z^n を満たす自然数X, Y, Zの組み合わせが存在しないことがフェルマーの最終定理や」と言ってみたが・・・・。おそらく、国立大学理学部でもピタゴラスの定理を忘れているのでしょう。バリバリ文系の私でも覚えているのに・・・・・。中学校の先生が「ピタゴラスの定理はだれでもできる。しかし2乗を3乗にするだけでそんな組み合わせがないことがいまでも証明できない。これをフェルマーの最終定理と言います」と教えてくださったので、今でも覚えています。偶然にも天牛で見かけたので、衝動買いしてしまいました(笑)。
この前、神保町ですこし悔しい思いをしたので、古本屋に行くことにしました。
北大阪在住ですので、まずは、石橋の太田書店。ここは理数系の本が多く、経営系はあまりありません。まあ、ちらっとのぞいたようなものです。ここでは何も買わず。
次に梅田のかっぱ横丁にある阪急古書の街。ここには京都の梁山泊や心斎橋の中尾書店の出店があり、平日夜8時までやっているのでちょくちょく見に来ます。石橋の太田書店の出店もあります。中を見て結局買わずに、阪神百貨店地下の対面まで歩いて萬字屋書店へ。ここにはハイエク『自由の条件(ハイエク全集)』春秋社があったので買おうかと思いましたがちょっと高かったのでやめ。
これから、大江橋か船場センタービルの天牛堺書店まで足を伸ばすか、どうしようか考えていましたが、ふと、関大前に行ってみることにしました。
関大前で降りると、まず、駅前のBOOK OFF 関大前へ。大学の近所ということで、品ぞろえはなかなか。ここでは2冊買いました。占部都美(1997)『経営学入門 改訂増補版』中央経済社と金井壽宏(1993)『ニューウェーブマネジメント:思索する経営』創元社。ニューウェーブは初版帯つき程度まあまあで105円でした。経営学入門は、美本でしたから1,600円しましたが、よさそうでしたから買いました。
次に、関大前通りにある「若草」で食事をしようとしたらシャッターが下りている。通りがかりの学生らしき若者に聞くと、つぶれたらしい。1年ほど前に修論の資料が関大にしかなく、その資料をコピーに来たときに「サービス」の「一口かつ」を食べたのが最後になりました。残念でなりません!
そしてその若草から30メートルぐらい行ったところに小さい古本屋が。ここには教科書のオンパレード。マンキューの経済学が山のように置いてあります。
ここでもあまり食指が動かず、文砦へ。ちょっと分かりにくい場所にあります。ここは法律書が豊富で、社会科学もそれなりにおいてあります。労働法関係を少し見ましたが、法律関係は新しくないとあまり意味がないと思いなおして、なにも買わず。 遅い昼飯を松屋の牛飯250円味噌汁つきで取ったのち、さて、ここからどこに行くか。
最近健康のために歩いていますから、関大前から緑地公園まで歩いて、天牛書店 に行くことにしました。千里山の住宅街を1時間強歩きます。天牛といえば、私が学生のころは、御堂筋から周防町を西に入って、少し行ったところの左側にありました。アメリカ村のど真ん中にあったのですが、江坂(というか千里山というか、緑地公園というか)に移ってすでに相当の日々が経っています。しかし、おそらく大阪近辺では一番大型古書店ではないでしょうか。十数年ぶりにやってきました。
購入したのは4冊。Singh, S. (1997) Fermat's Last Theorem: New York, Fourth Estate. (青木薫訳『フェルマーの最終定理:ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』新潮社、石井淳蔵(1993)『マーケティングの神話』日本経済新聞社、新田次郎(1974)『アラスカ物語』新潮社の初版帯つき、新田次郎(1977)『剱岳・点の記』文藝春秋の単行本初版 の4冊です。新田次郎の初版本は両方とも100円。状態はそれ相応なので100円なのですが、それでも安いので買ってしまいました。マーケティングの神話は、院生時代に図書館で借りて読んだのですが、マーケティングをやっていたわけではないので買っていませんでしたが、安く古本が出ていたので買ってしまいました。
そしてなぜフェルマーを買ったかというと、最終面接したある理系の学生が、最近読んだ本にこれを出してきたからです。「おぉぉぉ、久々に骨のある奴が!」と思って、「フェルマーの最終定理ってなに?」とお尋ねしました(私は知っている)。「ちょっと数式が難しいので・・・・」というので、「それならピタゴラスの定理は説明できますか?」といったら「ん、ピタゴラスですか・・・.。それも難しい数式ですけど・・・・・」という具合でピンとこない。5秒沈黙ののち、「ピタゴラス数は中学3年レベルやで。X^2 + Y^2 = Z^2 になる自然数のことで、たとえば、X=3, Y=4, Z=5というように、無限数ある。これは中学校の数学問題や。証明方法も何通りか教わる。しかし、自然数nが3以上 のとき、X^n + Y^n = Z^n を満たす自然数X, Y, Zの組み合わせが存在しないことがフェルマーの最終定理や」と言ってみたが・・・・。おそらく、国立大学理学部でもピタゴラスの定理を忘れているのでしょう。バリバリ文系の私でも覚えているのに・・・・・。中学校の先生が「ピタゴラスの定理はだれでもできる。しかし2乗を3乗にするだけでそんな組み合わせがないことがいまでも証明できない。これをフェルマーの最終定理と言います」と教えてくださったので、今でも覚えています。偶然にも天牛で見かけたので、衝動買いしてしまいました(笑)。
2010年6月5日土曜日
白川静読本(平凡社編)
次は、平凡社編(2010)『白川静読本』平凡社を読みます。漢字学の大家にして生涯現役。これも買って積んであった本です。伊丹先生の本を読んだので、次は野中先生かな、なんて思っていましたが、積んである本をみると「読むで~」という感じになってきました。
2010年5月29日土曜日
「ハーバード白熱教室」(Justice with Michael Sandel)がおもろい!
私は、テレビはNHKを愛用していまして、受信料のもとをとるためにも、民放をみることはあまりありません。というより、NHKの番組の品質が高いので、満足度が高いからです。
周りが、『ハーバード白熱教室』が面白い、と言っていたのですが、日曜日の18:00~19:00ということもあって、いつ見逃していました。先週日曜日みて、衝撃を受けました。おもろい!そこで、オリジナル英語版の『Justice with Michael Sandel』を会社の昼休みなどに毎日のようにみています。
ハーバードで行われている授業のテレビ版なのですが、1000人以上の大教室でインタラクティブな授業を行い、しかも分かりやすい。実は学部が法学部だったので、功利主義や社会契約論のようなことは法哲学でやったのですが実に教え方がうまい。引き込まれていきます。会社でお勧めして、みた人が「何がおもろいねん」というと、ちょっと悲しくなりますが、本当にお勧めです。
またこれも本が出てしまいました。Sandel, M (2009) Justice: What's the Right Thing to Do?, Farrar, Strause & Giroux (鬼澤忍訳『これからの正義の話をしよう:今を生き延びるための哲学』早川書房
さっそく購入して待機しております!映像見てから読むつもりです。
周りが、『ハーバード白熱教室』が面白い、と言っていたのですが、日曜日の18:00~19:00ということもあって、いつ見逃していました。先週日曜日みて、衝撃を受けました。おもろい!そこで、オリジナル英語版の『Justice with Michael Sandel』を会社の昼休みなどに毎日のようにみています。
ハーバードで行われている授業のテレビ版なのですが、1000人以上の大教室でインタラクティブな授業を行い、しかも分かりやすい。実は学部が法学部だったので、功利主義や社会契約論のようなことは法哲学でやったのですが実に教え方がうまい。引き込まれていきます。会社でお勧めして、みた人が「何がおもろいねん」というと、ちょっと悲しくなりますが、本当にお勧めです。
またこれも本が出てしまいました。Sandel, M (2009) Justice: What's the Right Thing to Do?, Farrar, Strause & Giroux (鬼澤忍訳『これからの正義の話をしよう:今を生き延びるための哲学』早川書房
さっそく購入して待機しております!映像見てから読むつもりです。
2010年3月6日土曜日
ニコ倫 読了
思った以上に時間かかりましたけど、楽しく読めました。
この本、思った以上に中国の古典、特に論語のようなすがすがしさを感じます。
「中庸(メソーテス)」がキーワード。不足と超過の真ん中。たとえば、真実さを見せつける「正直さ(中庸)」に対する「ほら吹き(超過)」と「とぼけ(不足)」。こういった調子で続きます。
昔読んだときは、そんなに感動しなかったけど、40半ばになると、いろいろ考えることも多いし、ちょっと感動してしまいました。また、朴氏の訳が素晴らしく、入り込んでいけるのがよかったです。お勧めです。
ちなみに「友愛」は?「おべっか(超過)」と「意地悪(不足)」。
この本、思った以上に中国の古典、特に論語のようなすがすがしさを感じます。
「中庸(メソーテス)」がキーワード。不足と超過の真ん中。たとえば、真実さを見せつける「正直さ(中庸)」に対する「ほら吹き(超過)」と「とぼけ(不足)」。こういった調子で続きます。
昔読んだときは、そんなに感動しなかったけど、40半ばになると、いろいろ考えることも多いし、ちょっと感動してしまいました。また、朴氏の訳が素晴らしく、入り込んでいけるのがよかったです。お勧めです。
ちなみに「友愛」は?「おべっか(超過)」と「意地悪(不足)」。
2010年3月3日水曜日
2010年3月1日月曜日
2010年2月28日日曜日
ニコマコス倫理学
先日、紀伊国屋でぶらぶらしていたときに、ふと見つけて衝動買いした一冊です。
アリストテレス(2002)『ニコマコス倫理学』(朴一功訳). 京都大学学術出版会
実は、岩波の2冊も持っているんですが、これを立ち読みして、平易な訳と充実した脚注にちょっと感動して、買ってしまいました。5千円弱する本ですが、これはなかなか価値があります。昨日27日から読み始めました。
なぜ、ニコ倫なのか。
悩み事があると、本屋に行くのが私の習慣です。知人や会社の同僚などと会う確率が低く、あれだけの人がいるのに、一人っきりになれる空間。ざわざわしているのに静かな空間。いろいろな本を眺めて、手にとって・・・・。自分にとっては貴重な息抜きの場所です。
最近、家族の在り方を考え直す必要があるな、と感じることが多く、先日紀伊国屋の哲学コーナーで何気なしに本を眺めていました。そこで何気なしにとった一冊。これでした。
読み終わったらまた報告します。
アリストテレス(2002)『ニコマコス倫理学』(朴一功訳). 京都大学学術出版会
実は、岩波の2冊も持っているんですが、これを立ち読みして、平易な訳と充実した脚注にちょっと感動して、買ってしまいました。5千円弱する本ですが、これはなかなか価値があります。昨日27日から読み始めました。
なぜ、ニコ倫なのか。
悩み事があると、本屋に行くのが私の習慣です。知人や会社の同僚などと会う確率が低く、あれだけの人がいるのに、一人っきりになれる空間。ざわざわしているのに静かな空間。いろいろな本を眺めて、手にとって・・・・。自分にとっては貴重な息抜きの場所です。
最近、家族の在り方を考え直す必要があるな、と感じることが多く、先日紀伊国屋の哲学コーナーで何気なしに本を眺めていました。そこで何気なしにとった一冊。これでした。
読み終わったらまた報告します。
登録:
投稿 (Atom)