2010年10月31日日曜日

隷属への道(ハイエク)一気読み

昨日は風邪ひきで昼間寝ていたのがたたって、夜は眠れない。眠れないので眠るために読もうと思って読みだすと、面白くて一気に読んでしまったのが、Hayek, F., A. (1943) The Road to Serfdom. Chicago: University of Chicago Press. 邦訳 F・A・ハイエク(2008)『隷属への道』西山千明、春秋社である。寝るための睡眠薬だったのですが、一種の覚せい剤でした。

これを読むと、今の民主党の議論が未熟なこと、またアメリカの中間選挙でなぜTea Partyがアメリカであれだけの支持を得ることができるのか、はたまた会社での経費賦課の不毛な論争にも、この本が与えてくれるロバストな視点は非常に有用である。

集産主義として代表される共産主義やファシズムに対する徹底的な批判と同時に、「法の支配」による権力の集中の防止と分散により、個人が競争を通じて努力する。人間は自分の利益になることにしか最善の努力をしないので、「適正な誘因」が必要である。そのためには自由でなければならないのである。ハイエクはこうも言う:「経済的自由は、ほかのどんな自由にも先立つ前提条件であるが、社会主義者が約束するような「経済的心配からの自由」とは全く異なっている。後者の自由とは、個人を欠乏から遠ざけると同時に選択の権利からも遠ざけることによって初めて獲得しうるものである。そうでなく、経済自由とは、経済活動の自由でなければならない。もちろんそれは、選択の権利をもたらすとともに、それに伴う危険や損失、そしして責任を個人に課してくるのだが」と。これにしびれます。そして、経済的問題の解決には富の増大しかないことを説くのである。

ここで、たとえば派遣労働者の問題を考えてみたい。製造業への派遣労働禁止と派遣労働者の正社員化を図ろうと政府が派遣法を改正しようとしているのは承知のとおりである。さらに、契約社員まで正社員化しようとしているのである。この議論は、正社員を善、そのほかを悪とする単純な二元論から成り立っている。ところが、正社員の解雇制限をそのままにしてこれを強力に推し進めると何が起こるかは明白である。正社員の低賃金化とイノベーションの低下、ひいては国力の低下を招くと考える。本来の道は、正社員の過度な解雇制限を緩和すると同時に、個人の競争を徹底させる「機会の平等」を法によって担保すればよいのである。

たとえば、現在の労働法制や判例からは、仕事ができない人間を解雇するのはほぼ不可能であるだけでなく、賃下げさえ「不利益変更の禁止」理論でほぼ不可能である。企業は膨大なコストをかけてそういう労働者を雇用し続ける必要があるのである。派遣労働の禁止を主張する人々は、こういう正社員の優越的地位を労働者全体に及ぼしたいと主張する。しかし、この優越的地位自体が問題である。会社にとって必要のない人間を雇い続けることを強制されることによる経済的損失が問題である。有能も無能もいっしょくたなのである。経済的自由を経済活動の自由と責任であるとすると、雇用される側は競争を通じて最善の努力をしなければならない。最善の努力は適正な誘因によって動機づけられていなければならない。努力する・しないは、その当人の「自由」なのである。

厳しい言い方をするが、就職氷河期でも就職できる学生は多い。それではなぜ就職できない学生がでてくるのか。企業が求めるポテンシャルを持っていないからである。事実はシンプルである。別の角度から言うと、企業によって求めるポテンシャルの質は異なり、違うタイプの企業を回ると就職できたりする。しかし、何かに打ち込んだ経験や、それがなければひたむきな努力なしに就職できるはずもないのである。学生が学生の本分を果たさなければ就職できないのは当たり前である。大学名で差別するな、個人を見てほしい、とよく言うが、それなら一流大学に入る努力を否定してもよいのか。努力するもしないも「個人の自由」である。それをさせるもさせないも「親の自由」である。この時期でも就職できないと嘆く学生がいる。能力を見てもらえないと嘆く前に、自分の能力と直面して、何が足りないか、何をしないといけないのか見つめなおしてほしい。こういう就活生には、下手な就活本など読まずに、日本の選抜制度の研究の金字塔、竹内洋(1995)『日本のメリトクラシー:構造と心性』東京大学出版会の一読をお勧めします。これを読めば80年代からの日本の受験・就職・出世の理論的理解と構造が理解できると思います。リンクをWEBCATにしておきました。文科系の学校でまともな大学図書館には所蔵されているはずです。

高名な大学教授の方から学生を見てほしいとお願いされることがよくあります。ほぼダメです。なぜか。よく自己分析というが、そんなことはどうでもいい。うまくいかない人の共通点は、企業がどんな人間を求めているかの核心を勉強しようとしないこと。自分に何ができるか・何ができないかよりも、企業が求めている人間像をつかめない。確かに高名な大学教授の方のゼミに所属しているので勉強もよくできるし積極性も感じる。しかし何かが足りない。共通しているのは、「就職活動も競争」ということを理解せずに、自分の優位性だけで勝負しようとしている。

最後は全く違うところに議論が行ってしまった。お許しあれ。ぜひ一読をお勧めします。

目次

1994年版序文 ミルトン・フリードマン
序章
第1章 見捨てられた道
第2章 偉大なユートピア
第3章 個人主義と集産主義
第4章 計画の「不可避性」
第5章 計画化と民主主義
第6章 計画化と「法の支配」
第7章 経済統制と全体主義
第8章 誰が、誰を?
第9章 保障と自由
第10章 なぜ最悪の者が指導者となるのか
第11章 真実の終わり
第12章 ナチズムの基礎としての社会主義
第13章 我々の中の全体主義者
第14章 物質的条件と道徳的理想
第15章 国際秩序の今後の展望
結び
原注・参考文献
初版まえがき
1976年版へのまえがき
訳者あとがきにかえて

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